2人



相手に想いが届かない


自分の本当と気持ちが、相手に伝わらない


それはひとえに、『居て当たり前』だと思ってた存在




そんな『当たり前』だと思ってた事が、本当に『大切』だと言う認識、感覚を忘れてしまっていたと言う事も、時にはある。


そんな『慢性化』『慢心化』と言う気持ちが、実は『不幸』への道だったりもする。


何故なら、『人』の心とは、コンピュータの様に『既成プログラム』で構築されているモノの様に、『結果』すなわち『答え』が1つと決まっている訳ではないから。


『気持ち』と言う人間心理とは、おそらく『解明』できない程に深い・・・


そのため『大好き』『愛してる』の気持ちが、いつまでも続くわけではない。




相手に『それに応える形跡』が全く感じられないと確信した時、人は『気持ちの整理』と言うモノを始める。


すなわちそれは、喧嘩した時のギクシャクした雰囲気とは別物・・・


むしろ『喧嘩のギクシャク』よりもタチが悪い


何故なら、『喧嘩でのギクシャク』の場合、後から仲直りをすれば、軌道の修復が可能だけど、『気持ちの整理』とは、それなりに『決意』を決めたと言う事になるから・・・




それは、片想いだとしても、既に付き合ってる場合だとしても、『気持ちの整理』をするまでの過程には、かなりの『悩み・苦しみ』があったからだと思うから。


それだけの出来事を経ての『決意』と言うモノは、単なる『痴話喧嘩』とは全く次元の違う事だと思うんです。




例えば付き合ってるカップルが居たとします。


その2人は、お互いの『気持ち』を大切に、少なからず『尊重』する気持ちが有るからこそ、成立していると言っても過言ではない。


しかし、例えば片方が、相手を蔑ろにし続けたり、尊重しなかったりと、『あの人が自分から離れていくなんて、万に1つの可能性も無い』なんて、相手をある程度放置してても大丈夫、多少我慢させても大丈夫・・・なんて考えていたら、それは『破局』へのカウントダウンに繋がる。


例えば、男女の営み(夜の生活)を、どちらかが蔑ろにして、そしてその片方が不満が溜まって行ったとした場合・・・


少なからず『揺るがない愛情』と豪語していても、やっぱり人間である限り、心の綻びが出てくるのは否定できない。


その『綻び(ほころび)』が次第に大きくなった時、何の前触れもなく『破局』と言う結末にもなりかねない。


『付き合ってる』と言う認識、やり取りがある以上、相手の事を『蔑ろ』にし過ぎてはいけない。




『あの男(女)に限って、自分を裏切る事は無い、気持ちが離れる事はない』


と言う考えこそが、『破局・恋愛不成就』への道だと思っていた方が無難だと思う。


『相手の気持ちは放置してても、いつまでも自分に有るとは限らない』


と言う事を、切に戒めとして頭に入れておいた方が無難だと思う。






本当に大切なモノは、失ってから気付く事が多いから・・・


今、目の前にある『幸せ』は、黙っていても放置していても『永遠に続く』なんて保証は、何処にも無いんだから。


その『当たり前』の様に思っている『見えていない幸せ』を大切にしないと、きっと後悔します。




そう、人の心はいつしか『変わる』時が来る事も有るのだから。







あなたは、大丈夫ですか?


『愛する人』『愛してくれる人』を、大切にしていますか?





『蔑ろ』『慢心』は、いつかその然り気無い『幸せ』を、無くしてしまいますから


気を付けてくださいね。