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「好き」と言うのは、自身の想いを伝える行為



「好き」と言われるのは、その想いを受け入れるか、そうでないかの判断を迫られる時




もし、その「想い」に応えられるのなら、何も問題はない

ただ、その「想い」には応えられそうにない場合、その答えをどう返すべきか悩む



かと言って、「想いを伝える」側も、その事では「好き」の気持ちを伝えるのには、かなり勇気がいったと思う。


もしかしたら、全く脈が無くて、更にその行為が裏目に出て、今まで凄く仲良しだった「友達関係」までダメになってしまうのではないかって不安感にかられる


そう言った意味も含めて、かなりの覚悟をきめての最終決断と言うケースが少なくない。


「好き」と言われる側としては、その想いが伝わるけど、「好き」と言われる側も、全く恋愛感情が無い場合、大概は苦痛になる場合も多々ある。





既に好き同士だったり、付き合ってたりしている時は、嬉しい言葉の場合が多いでしょうね♪


ただ、そんな場合でも「好き」と言われるより「好き」と言う方が良い


何故なら、それも「想い」を伝える側だから


言われる側の場合、それを再度受け入れるか否かを再確認する事になる


その気持ちに、変化が無いのなら、もちろん問題ではない


ただ、少しでも変化があったりしたら・・・


変化が無いにこした事は無いが、やはりそこは人間・・・

月日が経てば、その「想い」が変わってしまう事もある。


言う側に「変化」が有った場合、その言葉の回数が自ずと減る、もしくはその言葉に対しての重みも変わり、自ずと変化するので、それが「偽り」だと言う事が、いつか相手にバレる時が来る可能性が高いけど、言葉を発しているうちは、ほとんど変化は無い事が多い。


だけど、言われる側に変化が有った場合、「好き」と言う言葉すらが「苦痛」になる事が多い


「重い」「ウザい」「束縛されて嫌だ」等の負の感情が芽生えたりもする


本気で「好き」では無かったり、元々「好き」と言う感性に温度差が有った場合、それこそ苦痛とプレッシャーだけが強くなる。



「好き」「愛してる」の言葉は、多用するのも考えものかもしれない



嬉しい言葉のハズだけど、時には苦痛やプレッシャーにしかならない場合もある。



言葉には、それなりの「責任」と「覚悟」が必要なのかもしれない


嬉しいと思われる様な言葉は、尚の事かも知れない


多用は、安売りのバーゲンセールの様に思われる危険性もある。


自分自身も人間ならば、それと同時に相手も人間だから・・・感情の変化もある。



人生って、なかなか難しい


だからこそ、面白いのかもしれない。



あなたは、どちら側の人間ですか?

どちら側の人間にせよ、その恋愛の成就、及び恋愛が永続する事を、切に願ってます。