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人は、自身が求めるモノに、自ずと都合よく解釈する傾向がある。


それは『自身の主張』でもあり、そして違う観点では『防衛本能』とも言える。


誰もが『最悪な結末』よりも、『最高の結果』を望む・・・それが一般的には『精神的欲求』『物理的欲求』にも繋がるのではないでしょうか?




でも、10人居れば10の考えや主張がある様に、自分の解釈が、他では通用しない事もある。


自分では『常識』だと思っていても、他人には『非常識』だと解釈される事もある。


なので、自身へのダメージを軽減する為に、ある程度妥協点を模索して、少しでも自身の意見に近いモノに対して『賛同』する傾向がある




しかし、事細かく言えば、それは『賛同』しただけの話で、実際には『自分の望み、自分の思考』ではないと言う事も否めない


それは、恋愛にも同じ事が言えるのでは無いでしょうか?


自分が100%望む、100%思い通りになる事は、極めて不可能・・・


けど、自分の願望に一番近いモノを選ぶ選択肢がある


そしてその思考・・・要するに『望んでいるモノ』に、より近い存在を見付けようとする。


例えば、容姿、性格、仕草、共感


理由は人それぞれだけど、それにより近い存在を得ようとする。


それは、悪い事ではないと思うし、むしろそうする事により『不可能』な願望が、妥協により『可能』なモノにする事が出来ると思う。


でもそれは、100%求めているモノを掴む事にはならないけど、少なくとも『精神的』には、それを掴んだと言う達成感に近付ける様な思考になれる。


けど、それは『自分の求めているモノ』とは、根本的に違う気がする


最初は妥協して賛同したとしても、おそらく長い時間が経てば、その気持ちに綻びが生じて来るのも否定できない


いつまでも、最初の気持ちのままで居るのは、極めて難しい…





恋人の破局・・・・そして夫婦の離婚・・・


誰しも最初は、相手を好きになり、愛する感情が芽生える。


なので付き合ったり、結婚したりするのだと思う。


でも、時が経つにつれて、その妥協する願望に対して、自らが不満を覚えて行く様な気がする・・・


相手に求めるモノも、日々共に過ごしていく中で、どんどん欲深くなって行くモノ…


けど、その『貪欲』な部分が、最終的には『破滅』へと落ちていく事もある…





人は、パーフェクトじゃない


だからこそ、自分の100%望むモノを、相手に求める事はタブーだと思う。


だって人間には『感情』や『考え方』が、皆少なからず同じでは無いのだから・・・


意見が違えば、少なからず『好き嫌い』が生じる。


考え方の好き嫌いの無い人間なんて、おそらくこの世には存在しないと思うし…


数えきれない人が居る時点で、皆と仲良くしようと言うのは、只の幻想だし、それは事実上『不可能』な事だと思う。


意見が違うモノ同士では、仲良くすると言う事は、本音ではあり得ない話・・・


もし、意見が違う2人が居て、その2人の人と、どちらとも仲良くすると言うのは、単なる『八方美人』であり、それは『自分が自分で無い』・・・要するに『自身の考えを持たない』と言えないでしょうか?


薄っぺらい、表面上の親しさは構築されるかもしれないけど・・・そこに『本心』は全く無いと思う…


逆に言えば、あれやこれや『好き』と『嫌い』がハッキリしている事の方が、本来の人間らしさ、そして『自分が自分であり続ける』事に繋がるのではないでしょうか?





『矛盾』と言う言葉があるよね?


それは『どんな盾も貫く事の出来る矛』と『どんな矛も跳ね返す盾』を同時に売っていた人の話から来ている。


それに集まったギャラリーの1人が『その矛で、その盾を突いたらどうなる?』みたいな事を突っ込んだ時、その人は何も答えられなかった。


要するに、どちらも品物を売るため『都合の良い解釈』だったんだと思う。


そんな事から『矛盾』と言う言葉が生まれたらしい。


恋愛でも、友情でも、同じ事を言えると思うのは自分だけでしょうか?




人は、相手に100%を望むのはタブー・・・


でも、ある程度妥協する事により、その相手と更なる親交を深める事も出来るんじゃ無いかと思う。


恋愛なら、更に相手の善し悪しも含んで、相手を本当に『好き』『愛してる』と言う気持ちが強くなるんじゃないかなぁ?


友情の場合、どっちにも良い顔をするのは・・・いつかどちらにもその『八方美人な薄っぺらい考え』がバレて、どっちの友人とも破綻する結末にも成りかねない・・・




あえて、どちらとも仲良くする秘訣とは、相手を蔑む言葉には、軽くスルーして静観する事が、沢山の人と交流していくキッカケにもなると思う。


だれかれ構わず、共感するのはベターじゃない。


例えばある内容について、こっちではこんな事を言っていた。


それに共感、賛同する。


それは人それぞれの感性であるから、悪い事じゃないと思う。


でも、もう一方では逆の主張(いわゆる『反論』等)をしたとする。


何故かそれにも共感、賛同をする行為・・・


それをいわゆる『矛盾』『八方美人』と言う


いつかその行為が、薄っぺらい考え方だと見抜かれる時が来る。


百歩譲って、万人と仲良くしたいと言う願望が有るんなら、敢えて言えばそれらの人間関係、相関図は把握してないといけないと思う。


しかしそんなモノは、ほぼ不可能に近い。




個人的な考えでは、沢山の・・・・ほぼ全員と(薄っぺらく)親交するよりも、少数の考え方の似ている人と(深く)交流していく事の方が『良い人間関係』を築けるのじゃないかと、私は思う。


かと言って、誰かを敵と見なして、誰かを味方と見なすと言う偏見な考えになる必要も無いと思う。


うまく皆と付き合いたいなら、『広く浅く』、深いモノ、相手の個人的感情論(分かりやすく言えば『私怨』的な内容等)には、間違っても共感、賛同はしない事だと思う。


どうしてもしたいんなら、自身に『因果応報』が降りかかるのを承知で『それなりの覚悟』が必要だと思う。